施設での仕事は、認知症見守りを10年!だんだん出来ることができなくなって・・

施設での認知症
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有料老人ホームで、軽度の認知症の入居者様を見守る仕事をしていました。

8年前、広いリビングルームで認知症の入居者様10人が定員で「自由に出入りして楽しむ」というコンセプトでグループルームがスタート。

各部屋の担当職員が、この部屋に連れてくれば、徘徊しないですむ。

ということで、入居者を連れてきます。

 

ですから、何か楽しめることをしないと 、「帰ります」と立ち上がってしまうので、試行錯誤しながら、歌、クイズ 、ゲーム、パズルなど、

その人に合わせて出来ることを考えてアイテムを手作りしました。

このグループルームの担当は1人なので、ともかく皆さんに落ち着いてもらうのに四苦八苦でした。

介護の仕事を始めて20年の介護福祉士スミレです。

有料老人ホームで10年間認知症の方の見守り、
訪問介護で10年、現在もホームヘルパーを続けています。

その経験から、介護に関して感じたことを投稿しています。

インスタグラム
https://www.instagram.com/sumire_kaigo/

認知症の方の状態 (軽度)

8年前、グループルーム発足当初は、認知症でもご自分で歩けて、日常生活は自分でできるメンバーでしたから 一人ひとり、得意なことをやっていただいていました。

編み物が得意な人は編み物でマフラーなど編んでいただいて、和裁が得意だった人には、手縫いの手提げを縫っていただき

掃除が得意な人にはテーブルなど拭いていただき、昔、OLで働いていた人は、お茶を入れるコツが良く分かっていて、上手にお茶を入れていただいていました。

メンバーは、昔、英文タイピスト、従軍看護婦、大手の会社の役員夫人などなど・・
百人一首をスラスラ暗唱している方もいらっしゃいました。

当時は、日常の会話はやりとりできたので、月1回はみんなで外食に行ったり、お花見に行ったり日常は、「懐かしい歌」を歌うのが皆の楽しみでした。

デイサービスの仕事は、介護度が比較的低い方が多いので、介護の仕事としては、初心者でもやりやすい仕事です。

認知症の方の状態 進行すると

でも、8年過ぎたころ、最初からの人は3人のみで、5人のメンバーは入れ替わり、

年齢が進み、認知症が進んで、会話が成り立たないし、できることは少なくなってしまいました。

それからは

色紙で形を作ったものを色分けしていただくとか、1から50までの数字を順番に並べていただくことが、何とかできます。
「出来た」という達成感が大事だと思います。

「ことわざクイズ」例えば「犬も歩けば棒に当たる」など4文字熟語を牛乳パックで作りました。

ことわざや4文字熟語は、結構良く覚えていらして、得意に答えてくださいました。

認知症が進むと、自分自身でも「私はバカになった」というのです。

少しでも自信を持たせてあげないと

「役に立たないから、家に帰ります」が始まってしまいます。

認知症の方の状態 進行すると②

自分で歩ける人は1人。

昼食前、食堂で50人ぐらいの入居者が食事を待っているときに
立ち上がって
「お昼ご飯はいりません。家に帰ります」と歩き回ってしまうので、慌てて職員が付き添います。

その人以外は、車いすになってしまいましたが、すぐ、車いすから立ち上がってしまう人は危険なので、常時、見守りが必要です。

歩行状態はあまり良くないのに、一人で歩き回ると、いつ転ぶかわからないので、落ち着いていただけるように、レクリエーションでいろんな工夫をしました。

例えば、合唱

懐かしい歌の歌集を作って、皆で歌いました。

例えば

青い山脈、誰か故郷を想わざる、影を慕いて・・・

終戦直後に10代、20代の方々なので、とても懐かしくて歌っているときは集中されていました。

また

布で手作りのボールを作って、座ったままで軽い運動!

これも、牛乳パックを使って三角の形をいくつ積み重ねられるかを競います。

 

とにかく、施設デイサービスのレクリエーションで入居者様が楽しんでいただけるように、情報収集していました。

このグループルームは、8年後に閉鎖。

メンバーの認知症が進んだことと、職員が不足してきたからです。

その後は、特定の対象者を決めず、お部屋に一人でいられない方を食堂に集めて、見守りするという仕事になりました。

車いすでもよく動く人を追いかけて付き添うことも多くなりました。

私は、この施設を10年勤めて退職しました。

その後は、訪問介護の仕事に転職!現在に至っています。

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